こんにちは、アラカンぼっちトラベラーのヴィオラです。
ゴールデンウィークもいよいよ後半。
海や山へと楽しまれている方も多いことでしょう。
私はというと、相変わらず自宅でのんびりブログなどを書いております(笑)
今日は、昨年の秋に起きた「夫婦旅でのちょっと切ないすれ違い」について
お話しさせてください。
喜ぶと思って立てた旅の計画が…
うちの主人は昭和レトロな雰囲気が大好き。
昨年の春、ツアーで立ち寄った道の駅「くじ」(岩手県久慈市中町2丁目5−6)で、
昭和の雑貨やポスターに夢中になっていた姿を見て、
「そうだ、あそこに連れて行ったらきっと喜んでくれるはず!」
と私なりに考え、秋の旅先に選んだのが福島県昭和村にある「喰丸小」でした。
ここは昭和初期に建てられた木造校舎で、
今は廃校となっていますが、観光拠点としてリノベーションされ、
秋には黄金色に染まる大きなイチョウの木が写真スポットとしても人気の場所です。
私自身も何度か訪れていて、木の机や足踏みオルガンに触れるたび、
懐かしい気持ちとともに、子どもの頃の思い出が蘇るような場所でした。
ところが主人は…
その日、奥会津の「霧幻峡の渡し」を楽しんだあと、「喰丸小」へ向かいました。
ところが到着しても、主人はまったく興味を示さず、車から降りようともしません。
「お前、1人で見てくれば?」と冷たく言われ、私はひとり校舎を見て回ることに。
「きっと喜んでくれる」と思って立てた計画が、まるで崩れ落ちたような瞬間でした。
その後、旅館までの道中では会話も少なく、疲れがどっと押し寄せてきました。
さらに、道の駅で食べたお蕎麦にも不満そうでした。
自分の思いやりが伝わらなかった時の心のモヤモヤ
「相手を喜ばせたくて行動したのに、全く喜んでもらえなかった」
そんな経験、みなさんもありませんか?
私はしばらくの間、主人を喜ばせたいという気持ちが持てなくなってしまいました。
逆に、「主人が私のためにしたことが的外れだった時でも、
一応は気を遣って喜ぶフリくらいしてきたのに…」
というやりきれなさが、心に残っていました。
少し時間が経ってから気づいたこと
でも、数日経ってふと冷静になったとき、
「これは誰が悪い、という話ではないのかもしれない」と思えたのです。
私は、私なりの優しさと思いやりで動いただけ。
そして、そのときの主人がたまたまそれを受け取る心の余裕がなかっただけなのかもしれない。
もしかしたら、「喰丸小」よりも、会津若松市にある「昭和なつかし館」のほうが
主人の好みに合っていたのかもしれないな、とも思いました。
「思いやりのズレ」も、夫婦にはある
長く一緒にいても、思いは完全には通じ合わないこともある。
年齢を重ねると、なおさら「自分の気持ちの整理」が難しいと
感じることもありますよね。
でも今回の経験を通して、私はこんなふうに思いました。
「思いやりが届かなかったとしても、
その“思った気持ち”まで否定しなくていい」
どんなにすれ違っても、相手を思って動いた自分のやさしさは、
確かに存在しているのですから。
おわりに:読者のみなさまへ
このエピソードを読んで、「あぁ、私にも似たようなことがあったな」と感じた方がいらしたら、
どうかそのときの自分を責めないでくださいね。
相手の反応が期待と違っても、あなたの気持ちには、ちゃんと意味があります。
そしてまた、次に誰かを思って動こうと思える日がきっと来ます。
その日まで、自分に少しやさしくしてあげましょうね。
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